中山秀征の年収は4480万円!?群馬県出身で愛称はヒデちゃん・ヒデさん、キャッチコピーは「ボクが来たからもう大丈夫!」、タレント、司会者、俳優、とマルチにこなし、「ぐんま大使」としても活躍するイケオジの真実とは!!

中山 秀征(なかやま ひでゆき、
1967年〈昭和42年〉7月31日 – )は、
日本のタレント、司会者、俳優、元お笑いタレント。

ワタナベエンターテインメント所属。

愛称はヒデちゃん・ヒデさん。キャッチコピーは
「ボクが来たからもう大丈夫!」。

 

群馬県藤岡市出身。

身長173cm、体重58kg。

藤岡市立神流小学校
→藤岡市立北中学校(3年の2学期まで)
→川崎市立柿生中学校(3年の3学期のみ)。

 

妻・白城あやか(元宝塚歌劇団星組トップ娘役)
との間に4人の息子がいる。

長男の中山翔貴は2022年に
俳優として芸能界デビューした。

 

実家は工場「中山縫製」を経営していた。

中山も少年時代に
永谷園のお茶漬けの袋詰を手伝った事がある。

当時工場ではラジオをつけ、
流行歌や歌謡曲をBGMにした状態で
従業員が仕事をしていた。

中山は工場の休憩時間に
殿さまキングス、フィンガー5、
御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)、

石原裕次郎らの歌を歌い、
従業員に握手して回るなど歌手の真似事をしていた。

 

芸能界への憧れを抱いたのは5歳の頃。

両親に連れられ訪れた遊園地「カッパピア」
で行われていたフィンガー5の
イベントを観覧した際のこと。

客席の子どもたち数名がステージにあがって
メインボーカルの晃と一緒に歌えるコーナーが設けられ、

中山も受付に向かったがちょうど
自身の前で締め切られて悔しい思いをした。

その時に「客席で熱狂するより、ステージに立ちたい」
と自覚したという。

 

小・中学校時代には、
“芸能人野球大会で活躍したいから”
という理由で野球を始め、

“アクションも出来るように”という理由で器械体操、
“カッコよくサインを書くために”
という理由で書道も習った。

 

中学時代には友人と共にたのきんトリオを真似た
『クソガキトリオ』を結成。

当時、大人気だった田原俊彦が衣装に取り入れていた
レッグウォーマーを母に頼んで作って貰って着用した。

この頃には既に自身のサインを考え、
同級生らに「必ず価値が出るから」と渡して回った。

また、「将来、写真週刊誌「FOCUS」などに
過去の自分が掲載されるのは嫌だ」という理由で

女子生徒との2ショット写真を撮らないよう、
注意を払って生活していた。

 

その後俳優を志し、
3ヶ月でデビューできなければ辞めるつもりで、

1981年に東京の児童劇団
「エヌ・エー・シー」に入団した。

それから3ヶ月後、
火曜サスペンス劇場『狙われた女教師』

(1982年4月20日、日本テレビ系列)
の準主役を射とめて芸能界デビューした。

 

学校や近所で話題になるが、長くは続かず、
その後はオーディションを受けても落ちる日々が続く。

母を説得した末に東京近郊の高校へ進学するため、
中学3年の3学期から
神奈川県川崎市の中学校へ転校した。

知人や学校の教師の家に下宿しながら
数々の芸能事務所のオーディションを受け続ける。

当時周囲につけられたニックネームは
「グンマ」だったという。

 

本人は15歳で上京した理由について
「自分でもわからない」「無鉄砲だった」
と振り返っている。

また、下宿先では周囲との関係が上手くいかず、
自死を意識したこともあると語っている。

 

1984年、渡辺プロダクションの
新人募集オーディションに歌手として合格。

しかし「歌も芝居もいまいち(本人談)」で、
当時のマネジャーに「歌や芝居は、
バラエティーで天下をとれたら全部やれる」と言われ、

藁をもつかむ思いでバラエティ路線を選ぶ事になり、
若手お笑いタレントグループ

「BIG THURSDAY(ビッグサースデー)」
の第1期生として参加(同期には後に『ホンジャマカ』
として活動する石塚英彦がいた)。

 

中高生の頃に芸能界入りしたため年上の同期や後輩、
同世代の後輩が多い。

1985年、
同プロダクションの松野大介(現在は小説家)
とコンビ『ABブラザーズ』を結成した。

同年、フジテレビ『ライオンのいただきます』
のアシスタントとしてレギュラー出演。

アイドルのルックスを兼ね備えた中山は
一気に人気者となった。

 

特に女子中高生らからの人気は凄まじく、
生放送の行われていたスタジオアルタで
出待ちする少女たちの姿が頻繁に見受けられた。

当時中山が住んでいたのは国立市にあった
渡辺プロの寮であり電車で往復していたが、

ファンが大挙して中山のあとを追い、
寮までついていってしまう事もしばしばあったという。

 

同年10月からニッポン放送にて
『ABブラザーズのオールナイトニッポン』

(1985年10月 – 1987年7月)を担当し、
同性からの支持も集めた。

また、コンビでの活動のみに留まらず、
単独でもドラマや映画で主演を務め、
アイドル雑誌の表紙を飾ることもあった。

1986年9月には念願だった
レコードデビューも果たした。

 

しかし『いただきます』を降板した
1989年を境にABブラザーズの人気は低下した。

俳優活動やタレント業に
力を入れたいと考えてた中山は、

お笑い芸人として一貫したいと主張する
松野との間に溝を感じ始めた。

コンビとしての活動はぎこちなくなり、
お笑い番組やライブに出演する機会も激減し、
披露するネタも尽きた。

 

芸能活動の方向性に悩む中山に対して
当時のマネジャーは「コンビとしての負けを認めろ。
その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。

芝居や音楽も含めて、バラエティとにかく頑張れ」
とアドバイスをした。

これ言葉を切っ掛けに、
中山は単独での仕事にシフトし、
ABブラザーズとしての活動は自然消滅する。

 

1998年に松野は、
この時期の中山との関係をモチーフとして自伝的小説
『芸人失格』(幻冬舎)を執筆する。

1991年にはフジテレビ『東京ラブストーリー』、
TBS『デパート!夏物語』などの人気テレビドラマに
バイプレイヤーとして参加。

 

また、1992年から、日本テレビ『DAISUKI!』
にレギュラー出演するようになる。

松本明子や飯島直子らと交わす和気あいあいとした
軽妙なトークと街歩き企画が視聴者の支持を集め、

深夜番組であるにもかかわらず最高視聴率14.7%
(ビデオリサーチ調べ、関東地区)
という数字を記録する程の人気番組となる。

 

1994年にはドラマ『静かなるドン』への主演、
翌年には音楽番組『THE夜もヒッパレ』
(共に日本テレビ)への出演など多方面で活躍した。

1995年にはプロボウラーを目指し
プロテストも受験するが、
スコアが伸び悩み不合格となった。

1998年6月、元宝塚歌劇団娘役の白城あやかと結婚し、
明治神宮で挙式をした。

ちなみに白城との交際や結婚を最初に報じたのは
写真週刊誌「FOCUS」であり、
見出しには「お姫様と平民の結婚」と書かれていた。

 

1999年、
飯島愛とのコンビでフジテレビ『ウチくる!?』

が放送開始(飯島引退後は久保純子、
その後中川翔子とのコンビに)、

2005年秋には日本テレビ『ラジかる!!』
の総合司会を担当し、

関東ローカルながら久々に平日の
帯番組を持つことになった(金曜日を除く)。

 

中山をはじめとする出演者の自由な雰囲気での
トークやタカアンドトシ、

ザ・たっちなど若手芸人の出演もあって
夕方ながら高視聴率を叩き出す人気番組に成長する。

翌年の春には
『ラジかるッ』に改題して昼前の枠に移動し、
視聴率10%を超えたこともあった。

 

下記のように否定的な評価が目立った
80年代から90年代と異なり時代が尖った笑いから、

「雰囲気作りのうまさ」や「人を傷つけない笑い」
が高評価されるように変化した事もあり、

この頃から業界や芸人内での中山への評価は
好意的なものに変わっていく。

 

2008年(平成20年)12月10日、
出身地である群馬県の宣伝を行う「ぐんま大使」
に井森美幸とともに任命される。

2009年3月30日から『ラジかるッ』
・『おもいッきりイイ!!テレビ』の流れを汲み、

統合された新番組『おもいッきりDON!』
の総合司会に就任し、
みのもんたに代わる日本テレビのお昼の顔となった。

 

同年秋改編で第1部の総合司会をビビる大木と
岡田圭右(ますだおかだ)に譲り、
第2部の総合司会に専念するようになる。

2010年3月26日で
『おもいッきりDON!』としては終了し、
同年3月29日より『DON!』にリニューアルされた。

2011年3月25日で『DON!』は終了し、
代わって同年4月3日から放送開始した
日曜朝8・9時台の『シューイチ』の総合司会に起用された。

 

『ウチくる!?』終了後のテレビ番組における地上波での
レギュラー番組は『シューイチ』のみのため、

平日の番組を中心に
他番組にゲスト出演する機会が増えた。

 

1990年代や2000年代などでMCの番組で
ゲストやレギュラーで出ていた出演者が

後に総合司会となり、
それらのタレントの番組に
ゲストで出演するケースもある。

例として『DON!』で総合司会を務めていた時の
曜日レギュラーに有吉弘行がいたがその有吉が
2012年以降MCを務めるレギュラー番組が増えると、

有吉がMCを務めた『超問クイズ! 真実か?ウソか?』
に中山がゲストで出演することもあった。

 

という経歴で、
群馬県出身で愛称はヒデちゃん・ヒデさん、
キャッチコピーは「ボクが来たからもう大丈夫!」、

タレント、司会者、俳優、とマルチにこなし、
「ぐんま大使」としても活躍するイケオジの
中山秀征さん。

みなさんは、そんな中山秀征さんの年収や、
稼いだ年収の使い道等、気になりませんか?

 

今回は、中山秀征さんのお金事情を調べてみました。

中山秀征の年収はいくら?

中山秀征さんの年収はいくらぐらいなのか、
みなさんの熟考はどうなっているでしょうか?

 

中山秀征さんの年収は4480万円です。

芸能人の平均年収が2000万~3000万円と
言われておりますので、中山秀征さんは、
そこそこ凄い年収となっていますね!

 

少し年収が少ない気がしますが、これは現在、
中山秀征さんが昔平日レギュラーを務めていた、

「おもいッきりDON!」のようなレギュラー番組を
持っていないのが原因かもしれません。

それでも年収4480万円ですからね、
一般人目線なら十分凄い年収ですし、
中山秀征さん立派です!

 

筆者も当たり前ですが、
平日はレギュラーで仕事はありますが、

最低賃金ギリギリで、
このブログを書いている7月28日現在、
まだ夏のボーナスは支給されておりません・・・(涙)

中山秀征の年収の内訳は?

中山秀征さんの年収の内訳は何なのか、
みなさんの推測は当たっているでしょうか?

 

中山秀征さんの年収の内訳は、
TVの出演料、ラジオの出演料

の2本となっております。

後述しますが、前回の太川陽介さん同様、
中山秀征さんも芸歴が40年以上で、

しかも物凄い人気ですので、

かなりメディアの出演料が高額になります!

 

今回も前回の太川陽介さん同様、
CMの出演がないのが残念ですが、
TVの出演料が物凄い事になるのは予想ができますね!

一般人と芸能人の給料を比べてもしょうがないですが、
やはり、芸能人を見ていると、

自分も芸能界に挑戦すればよかった・・・
なんて思っている人もいるのではないでしょうか?

 

筆者も、やはり高給には憧れますが、
辛い仕事より楽な仕事が好きなので、

いつまでも成長できない、
甘い人間になってしまいましたね(笑)

年収の内訳①:TVの出演料

中山秀征さんは、
ファンだけではなくTV業界からも慕われている、

大人気のタレントですので、
TVの出演も数多くあります!

中山秀征さんのTVの出演料はいくらなのか、
みなさんのお考えは纏まったでしょうか?

 

中山秀征さんが現在、
レギュラーで出演しているTV番組は、

「シューイチ」(日本テレビ)、
「ジモトに乾杯!居酒屋秀ちゃん」(JCOM)、

「昭和歌謡パレード」(BSフジ)、
「中山秀征の楽しく1万歩!小京都日和」(BS11)、
の4本となっております。

 

先述の通り中山秀征さんは、
超有名な大御所と言ってもいいタレントですので、
TVの出演料も高額です!

今回のTVの出演料は、
ちょっと控えめな40万円で算出してみました。

過去1年間のTV出演回数は100回、
1回の出演料を40万円としますと、
年収は4000万円です。

 

ちょっと出演回数が少ない気がしますが、
これは後述のラジオの出演もけっこうあるのと、

中山秀征さん自体も還暦が近く、
もしかしたら仕事をセーブしている可能性も
あるのでしょうね。

それでも一般的な日本人の年収の約9倍の年収を
TVの出演料のみで稼ぎ出しているのですから、
もう凄いとしか言い様がないですよね!

 

筆者もせめて、中山秀征さんのTVの出演料の1/10、
400万円の年収は欲しいですが、現状は厳しいです。

成功するには、この「ストラットのブログ」の
副業に賭けるしかありません!

みなさま、とりあえずアクセス数ください!(笑)

年収の内訳②:ラジオの出演料

中山秀征さんは多方面で活躍する、
大人気のタレントですので、TVだけではなく、
もちろんラジオにも出演されています。

中山秀征さんのラジオの出演料はいかほどなのか、
みなさんの潜考はどうなっているでしょうか?

 

中山秀征さんが現在、
レギュラーで出演しているラジオ便組は、

「中山秀征の有楽町で逢いまSHOW」
(ニッポン放送)、

「中山秀征の夕焼けウォンチュ!」(エフエム群馬)、
の2本となっております。

過去1年間のラジオ出演回数は96回、
1回の出演料を5万円としますと、
年収は480万円です。

 

本当に芸能人の収入は凄いですよね!

普通に一般的な日本人の年収の450万円を
余裕で超えていますし、

それがラジオ1本(出演番組は2本)の
年収ですからね!

まあ、それだけ中山秀征さんのトークが面白く、
リスナーを引き付ける力がある証拠、
でもあるのでしょうけどね!

 

筆者なんぞは、年収300ちょいがやっとで、
将来に不安しかありません・・・
筆者も、中山秀征さんに生まれ変わりたいです(笑)

中山秀征が稼いだ年収の使い道は?

中山秀征さんが稼いだ年収の使い道は何なのか、
みなさんの推察は的中しているでしょうか?

 

中山秀征さんの趣味は、
パソコン、写真、タップダンス、野球、
車、ボディボードで、

特技は、
書道、ウクレレ、ボウリング、

水泳(1.5㎞泳げる)、ヨーヨー、
だそうです。

 

この中でも、やはりお金が掛かりそうな趣味は
車でしょうね!

中山秀征さんが現在所有している車は、
メルセデスベンツ・CLSクラス、

メルセデスベンツ・GLクラス、
だそうです!

やはり、メルセデスベンツ、
成功者の証なのでしょうね!

 

また、中山秀征さんは、東京都内の麻布に3億円の
豪邸を所有しているそうです!

もちろん、ローンは終わっているでしょうが、
この家の維持管理にも相当なお金が掛かるでしょうね!

以上の事から、中山秀征さんの稼いだ年収の使い道は、
ズバリ「」と「」なのかもしれませんね!

 

筆者ももし無限にお金があれば、
メルセデスベンツ 
W201 190E 2.5‐16 EVOⅡという

スポーツセダンが欲しいですが、
まあ言わずとも一生無理ですね(笑)

まとめ

今回は、
群馬県出身で愛称はヒデちゃん・ヒデさん、
キャッチコピーは「ボクが来たからもう大丈夫!」、

タレント、司会者、俳優、とマルチにこなし、
「ぐんま大使」としても活躍するイケオジの
中山秀征さんの年収や、

稼いだ年収の使い道等を調べてみましたが、
いかがだったでしょうか?

 

思ったよりも少ない、年収4480万円でしたが、
それでも一般的な日本人の年収が450万円ほどと

言われておりますので、
実に10倍ほど稼いでいる計算になり、
普通に物凄い年収ですよね!

 

家も東京都内の麻布に3億円の豪邸とか、
もう一般人には理解不能な高級住宅で、
意味不明過ぎですよね(笑)

また、車もメルセデスベンツが好きという事で、
車好き筆者には刺さるところがあり、
非常に中山秀征さんに好感が持てました!

 

なにわともあれ、これからも様々なメディアで
精力的に活動し、ガンガン前に出て、

群馬県の良い所もアピールしまくり
頑張ってほしい、中山秀征さんだと思いました!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。